学びの轍レポート

医療の専門家 経営情報の専門家として、学ぶことが進むべき轍と考えています。

支持される人、されない人

自分に本物のマネジメントを教授していただいた先生が、お若くしてご逝去されました。

どうしても聞きたい質問があったのですが、叶いませんでした。

ここで、自分なりに先生の教えや行動から考えて見たいと思います。

 

世の中には、沢山の経済学や教養学その他の専門家と言われる学者などがいろんな分野で活躍されています。

 

その中で、専門家同士でしか理解できない話題や内容を、専門家以外の一般の人に理解や納得を得るにはどうしたらよいかという事を、質問したかったのです。

 

世の中で人の上にたってリーダー的な立場の人間が、必ずしも優秀ではありません。

 

また、影で目立たない人物が本当ならば能力、知力、行動力を備えているが、多数の人から支持や理解がもらえない。といったことがいろんな現場であると思います。

 

特に、閉鎖的組織や政治の世界にも多くあります。

 

そのような人が、支持されないのはやはり一般の専門家ではない人にも、理解してもらえる能力が必要であるのではないでしょうか

 

専門家だからこそ、専門用語を使わず、浸しみやすい言葉を使い、専門用語をどうしても使うなら、わかりやすく一つずつ噛み砕き説明し納得できる必要があると思います。

 

テレビで人気の池上彰さんは、この点が素晴らしいのでしょう。

 

聞いてもらう相手によって、話し方を変える事がハイレベルなコミュニケーションなのでしょう。

 

この能力を備えた人が支持されるのではないでしょうか

 

 

 

ご清聴ありがとうございました。

日本銀行について

 国の中央銀行日本銀行です。日本銀行はどのような役割を果たしているでしょうか

 

 国民経済の金融システムの中心となるのは中央銀行です。

 日銀には、発券銀行、銀行の銀行、政府の銀行、の3つの顔があります。日銀は株式会社であり、株主へ配当はなく原則として利益は国に納付する事になっています。

 日本銀行日本銀行券を独占的に発行しています。金本位制下の兌換紙幣とすると、日銀にとって発行した紙幣は負債になります。

金に兌換を求められれば、いつでもそれに応じなければならないからです。

日銀のバランスシートの上では、負債になっている事には変わりありません。

 

 次に、銀行の銀行として、日本銀行は一般企業や個人とは取引せず、市中銀行など金融機関とのみ取引を行っており、これらの金融機関から当座預金(出し入れが自由な無利子の預金)を預かっており、この預金は、現金とおなじように入金振替と同時に決算が最終的に完了するうえに、現金を運ぶような手間や危険がない為大きな支払いに便利です。

 この為、日本銀行当座預金は日銀と金融機関だけでなく金融機関同士の資金のやり取りにも大いに利用されています。

 A銀行からB銀行に振り込みが出来るのも、日銀を通して各銀行同士が相互につながりを持っているからです。

(日銀ネット)また、各金融機関は日銀から貸し付けを受ける事も出来ます。

この時の適応される基準金利公定歩合です。

また、政府の銀行として金融機関の他に、日銀に口座を持つのは日本国政府です。

日銀は国の資金(国庫金)の出納事務をすべて扱う事になります。

この口座には全国から集められた税金・社会保険料や交通反則金などのお金が入ります。また、公共事業費・社会保障関係費などの支払いに必要なお金はこの口座からから出ています。

この様な国庫金の受け払いなども日本銀行の仕事です。

このほか国債の発行、流通および償還事務についても、日銀で一元的に取扱っています。また「外国為替資金特別会計」で政府が保有している外貨の管理事務も日銀の仕事です。

このうち、民間銀行との外国為替売買がいわゆる介入で、日銀は財務大臣の代理人という立場で市場介入を行っています。

 日本銀行は銀行としてこのように3つの機能があり、その役割の主なものとして日銀法に、通貨および金融の調整を行い、特に物価の安定をはかることを通じて国民経済の健全な発展に資する事を理念とする事を謳っている。

これが、日銀が行う金融政策といわれるものです。

他に、銀行券を発行する事と決算システムの円滑かつ安定的な運航を確保し、金融システムの安定化を図るという目的もあります。

金融政策の運用として、金融政策には他の目的もあります。マクロ経済の安定化、すなわち国民経済の健全な発展を目指すのですが、その中に為替レートの安定化や経常収支の安定化や経常収支の均衡化があるのです。

 

ご清聴有難うございました。

 

 

文献(グラフィック経済学 7章 新生社 浅子和美 石黒順子)

市場経済について

 市場経済は、限られた資源を有効に利用する社会をつくり出します。消費者余剰、生産者余剰、社会的余剰の概念を用いて、市場均衡は最も資源を有効に利用しています。

 


 市場は買い手と売り手が財やサービスを取り引きする場であり、価格をめやすに経済的な意思決定が行われます。

 

 市場経済では一般に自由な競争が行われ、生産量や消費量が適切に自動調整されます。

 

市場経済(Market Economy)とは、資源の配分が自由市場における需要と供給の関係により決定される経済のことです。

近年では多くの国が市場経済を採用していますが、完全なる市場経済は実施してはおらず政府による何らかの制限が行われている現状です。

 

 市場経済は、財の生産量や配分量といった経済の根本機能においては計画経済や混合経済よりも優れていると言われています。

 

モノの需要と供給バランスにより効率的な生産が実施され、財の過剰生産や過少生産が抑えられる効率的な経済となり、競争を促進することから労働者の勤労意欲向上や生産性の増加が起こります。

その一方、市場経済下では資源配分が効率的にはなるが、公正とは限られないことから、貧富の差の拡大や需給ギャップの発生、市場機構外における価値の取引(環境問題)などは、人為的な調整が行われないことから適切な配分が行われないという欠点があります。

 

 こうしたことから、近年の世界経済としては、全体的には市場経済を推進するものの、一部の業種や規制、所得再分配公共事業などを政府の機能として実施する混合経済が主流となっています。

 市場均衡について、効用最大化仮説「市場における消費者の行動の目的は効用(消費者が財を購入して得られる満足度)を最大化すること。」は、サービスに対する需要が通常の場合、その財やサービスの価格が上がれば減少し、下がれば増加します。

また企業の利潤最大化行動から、供給は価格が上がれば増加し、価格が下がれば減少します。

そして需要曲線と供給曲線が交わるところが、需要と供給が等しく市場均衡です。

この時、市場メカニズムが働き、需要供給の法則が働きいったんその状態に達すると状態が維持されます。

需要曲線上では、家計の効用は最大化されており、供給線上では企業の利益が最大化されます。

したがって市場均衡点では、家計も企業もどちらも満足する状態になります。

 

 需要曲線と供給曲線の交点の市場均衡で、社会的総余剰は最大になります。

その際、市場均衡以外での不均等下での取引については1つのルールを導入します。

ショートサイドの仮定といわれるものでが、要は誰も望む以上の取引量は強要されないというものです。

 具体的には需要と供給が一致しない場合は少ない方で決まるというものです。

望む以上の取引は拒否する一方、望む以下の取引量の取引には応じるという約束事の導入です。

 まず市場価格より高い価格で取引が行われる場合を考えると、需要量より供給量が上回るので、ショートサイドの仮定より、取引量は需要の量で決まります。

そうすると市場均衡と比べて、消費者余剰は必ず少なくなります。

これに対して、供給者余剰については、増えるか減るかははっきりしません。

価格が高くなった分で企業の利潤が増える方向に働きますが、取引量が減った分、利潤が減る方向に働き、どちらがおおきいかは、どれだけ均等価格より高いか、また需要曲線や供給曲線の傾きがどうなっているかなどに複雑に影響され一概に言えないからです。

 生産者余剰の変化はどうであれ、社会的総余剰は必ず減少します。結局取引量が減少したことによって減少する。

 

 次に市場価格より低い価格で取引が行われる場合を考えると、供給量は需要量より下回るのでショートサイドの仮定より、取引量は供給の量で決まります。

均等価格で取引される場合に比べて、社会的総余剰は減少します。

減少してしまった社会的総余剰は、経済の構成員全員から見て損失になります。

 

 このように、市場均衡の取引とくらべて、取引価格が市場価格よりも高くても低くても、社会的総余剰は減少してしまいます。

 

 言い換えると市場均衡での取引の下で、つまり需要と供給が一致する時に、社会的総余剰は最大化されます。

 すなわち市場均衡は資源を有効に使っている状態になります。

 社会的無駄がない時と言えます。市場均衡から離れると、社会的総余剰が減ってしまうので、結果的に社会の構成員の誰かは前よりも悪い状態になってしまいます。 

 

 

ご清聴有難うございました。

 

 

(参考文献:新世社 グラフィック経済学 2011,2,10 浅子和美、石黒順子)

ビジネスとボランティアについて

 ビジネスにおいて、ボランティアとの違いを考えてみたいと思います。

 

 ビジネスは、活動の対価を金銭で受け取ります。ボランティアは、感謝はされるが対価までもらうことはありません。

この点が一番の違いです。

 

 起業することは、事業を立ち上げる事であり、会社設立する事で要素が強くなります。

ビジネスにおいて一番求められることは、結果を出す事です。何故なら、結果が出なければ、収益がです事業継続が不可能となるからです。このように、ビジネスは実績と、利益を出すことが求めれれます。

 

 ボランティアは、収益化する必要がなく継続する必要もないのです。無収益の慈善事業です。

 また、提供する価値レベルを考えてみます。

 ビジネスは、サービスの対価に金銭をもらいます。サービスがその金銭と対等かそれ以上でなければ、そのサービスに価値はないでしょう。

 また、そのサービスや商品に信頼がなければ、価値交換は行われません。また次に同じサービスを金銭で交換しようと思わなければ、事業継続が成り立ちません。

 

 このように、ビジネスを行うという事は、クオリティーの高いものを提供しなければいけないのです。顧客を幸せにする事を継続する為には、収益化しなければできません。

 

この収益が、自分の命、家族を守るものになるのです。

 

ご清聴有難うございました。

 

マーケティングリサーチ(市場調査)の必要性

 ビジネスにおいて、消費者を理解し、何を求めているかを予測し、新たな購買欲求を見出す事は大変重要です。

しかし、消費者を理解することは、今もって難しいことです。なぜ消費者を理解することは難しいのでしょうか。

何故なら、人の消費行動は人それぞれに違うからです。

経済学や心理学、社会学マーケティングと学説や考え方はありますが、その学説すべて消費者をすべて解明することはできないからです。

 なぜなら、人それぞれおかれた環境や考え方潜在意識、感性、思想、味覚、五感などまちまちであり、それが人間であるからです。

 

 人の欲求とは、マズローの五段階欲求学説にもあるように、欲求も段階を経て変わるからです、それは、安全欲求から始まり、食欲、愛欲、自己実現へと段階へて欲求が変わります。

消費者はその欲求を満たすために消費者となり消費行動をします。自分自身である物や、サービスを欲しても、その行動の途中に何かの刺激や潜在的な考え方で急に消費行動が変えられます。

この不確かな行動は誰も予測できません。消費者の意思決定過程は問題認識、選択物の探索、選択物の評価、購買決定、購買後の評価の過程をとります。

その過程で、刺激に影響され自分の今おかれている経済的な事情、生活環境、趣味好み感性に影響されます。また刺激の受け止め方も人のよって違います。

 

 マーケティング等で、人の欲求を突き止めることにより、新たな欲求を作り出すこと、またマーケティングリサーチを行う意味は、消費行動を理解することは難しいためだからです。

商品やサービスを買わない理由は、買いたいけど買えない、それはお金がない、買いにいけないこの理由もいろいろで、また買いたくないから買わない、もう少し新製品を待つ、安くなるまでまつ、特に欲しくない、好みに合わないとかいろいろだからです。

以上のように、消費者の購買行動は単純ではない為にマーケティングリサーチが必要になると思います。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

 

ソーシャルキャピタルと地域社会

 パットナムの社会関係資本の概念を説明し、日本の社会資本の状況を述べたいとおもいます。

 

 はじめに、自分が思う幸せを述べたいと思います。自分の幸せを定義すると第一に、健康であることです。自分自身の健康と家族の健康、そして仲間たちの健康です。健康とはWHOによると「ただ単に病気や怪我をしていない肉体的な健康だけだはなく、社会的にも精神的にも満たされて完全な状態が健康である。」と述べられています。このように健康で完全に満たされることはとても難しいことです。

第二の幸せは、自分の生活にかかわる全ての人と信頼関係が構築されて、仲間たちと心通う暮らしができる事が幸せです。

第三は、戦争や紛争がなく犯罪などがなく安全に安心して暮らせることです。この三つが自分の思う幸せの定義です。

ソーシャルキャピタル社会関係資本)とは、社会学、政治学、経済学、経営学などにおいて用いられる概念です。パットナムが提唱した概念は、「哲学する民主主義」にて協調的行動を容易にすることにより、社会の効率を改善しうるとされ、信頼、規範、ネットワークなどの社会的しくみにに関する考えに特徴があり、「孤独なボウリング」では、「社会関係資本が示しているのは、人と人とのつながりです。すなわち社会的ネットワークやそこから生じる互酬性と信頼性の規範であると述べられています」

つまり人々の間のインフォーマルなつながりによる一般的な信頼が社会における資本ととらえ高い信頼関係がよきガバナンスを実現し、さらに地域経済の活性化につながっていくということです。

地域活動やボランティア、クラブなどを通じて一般的な信頼が醸成されます。それらが社会関係資本となり、公共性の実現とよきガバナンスの実現となり、協力行動や起業行動に関連していくものと考えます。

人と人の結びつきが社会構造を円滑にすることができ社会問題の解決策の一つになります。

次に、現在の日本の社会資本について考えていきたいと思います。大震災などの生死をかけた緊急時に、この社会資本は発揮できるのではないかと思います。

行政の動きより地域のネットワークによる協力体制や情報提供などが先に機能していたと思います。日本人の気質と社会資本がうまく機能することにより貴重な少ない資源の分配などもうまくいったのではないかと考えます。

 

また、うまく社会資本が機能していない例として、孤独死があると思います。18人に一人は孤独死だそうです。核家族化や近所付き合いの崩壊などが原因であると思いますが、地域の高齢者のネットワーク不足によるものだと考えます。

また、いじめなどの社会問題は、一言で原因を述べることはできませんが、学校だけに子供の教育を任せている現状にも原因の一つになると思いす。

学校を中心として地域や父兄の関わり合いすべてのネットワークが機能していないことも原因のひとつになると思います。

また、健康増進の観点からも、社会資本と関わることにより運動する機会を得ることができるようになります。コミュニティに参加する人としない人との健康格差が生じると思います。

地域の防犯の点から考えると地域ネットワークが、機能している所の犯罪件数が少ないとの報告もあります。

自殺の問題も鬱や、経済問題などいろいろありますが、人との信頼関係がうまく構築されていれば防ぐこともできるであろうと思います。

心が通うものが大切であります。このように、社会資本は人の生きていくうえで幸せに暮らすためのキーワードになると考えます。

ここで自分の幸せの定義と社会資本を考えてみたいと思います。人は信頼された絆で結びついた仲間で過ごす事はとても心地良いものです。

このような環境下でいると仕事も能力以上のものが発揮できます。また精神的にも安定し心が満たされ健康になれます。

また人々と心通う事に幸せを感じる事ができると、社会問題が解決されていくでしょう。このような絆が達成できれば幸せになる事ができると思います。

個々の絆から社会の絆へ広げていき、皆が幸せになる為のキーワードに、社会関係資本が大きく関係があると考えます。

行政など縦のつながりを社会資本が横のつながりを即し効率よく政治が行われていくものだと思いました。

現在の日本の状況は上記のように社会資本がうまく機能しているとは思いません。積極的に取り組んでいる地域人と、全く意識していない個人や組織では格差があります。皆が幸せに暮らす課題がこのソーシャルキャピタル社会関係資本)にあるのではないかと思います。

 

ご清聴ありがとうございました。

エビデンスという言葉を浸透させる必要性

少し前のブログに、エビデンスに基づく医療情報と記しました。そのパート2です。

よく病院の診察室で、専門医師に自分の見解と病気などについて質問相談などをしています。その中で、自分でインターネットなどで間違った情報を鵜呑みにして、専門医師の治療方針に対して、他ではこのように書いてあったとか、有名な誰それがそ~言っていたとか専門医師と押し問答している光景があります。せっかくエビデンスに基づき専門医師として治療を開始しようとしているのに、患者自身が間違った情報に振り回されていて、その為、専門医師が困ってしまっています。

膨大な研究と、臨床経験と、学会などのセミナーを受けている専門医師の知識を、根拠のないインターネットの情報を鵜呑みにした患者との情報格差がとても問題になっています。

 そこで、何故このような情報に惑わされてしまうのか考えてみます。エビデンスという言葉を理解している人ならこのような事は起こりませんが、医療従事者でもエビデンスを知らない人もいます。ここで思うのが、エビデンスという言葉の意味が普及していないのでしょう。

それから、インターネットを正しいと思いこんでいる人がとても多いからなのでしょう。

 

そこで解決策は、エビデンスに基づく健康情報を社会的に認知してもらい、日常の医療の健康の話をするときに、エビデンスではこうだとか、エビデンスにはないけどなどを必ず付け加える習慣を持ちたいものです。

マスコミなどで時間とともに普及するにはもう少し時間がかかりそうです。

 

ぜひこの学びの轍レポートのエビデンスに基づく健康情報をお読みください。

 

ご清聴ありがとうございました。